つれづれ至陰考
ちょっと前の話しになるのだけど、こんなことがあった。
知り合いのK子(仮名)さんが「至陰」の灸をした後に、
逆子が治った。
鍼灸の世界では、「逆子の灸」と呼ばれているお灸がある。
足の小指のツボにお灸をすえるのである。
もちろんこの「逆子の灸」には、
科学的な根拠はない、と僕は思う。
K子さんにはお灸をする前に、石野尚吾著『女性の一生と漢方』と
西原克成著の『赤ちゃんの生命のきまり』を読んでもらい、
東洋医学的なブリーフィング、
僕なりに説明をして、彼女に施灸の実技指導をした。
(このケースでは金銭は頂戴していない)
なにせ科学的な根拠のない経験則だけのお灸なのである。
信じろという方に無理がある。
だからこそ、説明責任は鍼灸師の側にある。
ちょうどその頃、佐渡のH先生のブログに
「至陰」に関する内容のがあった(3/26の記事)ので、
少し頭を捻ってみようかなと思いながら2ヶ月が過ぎてしまった。
http://sansetu.exblog.jp/13051015/
* Cf. 5/17の記事
http://sansetu.exblog.jp/page/2/
鍼灸という「危うい」業をする者としては、
自分の行為に対しての説明がきちんとできているのか、
日々、自問自答を繰り返していかないと思うのだ。
もっと簡単に言うのなら、「鍼って何で効くの?」
という問いにどういう答えをするのか、
毎日毎日、僕らは考えていかないと。
ではどうやって「逆子のお灸」について説明したらよいのか。
で、いままで「至陰穴」について学習したことを
振り返ってみることにした。
(ていうか鍼灸学校では教わった記憶がない…。)
まず中国研修で、
天津中医薬大学附属第一医院の婦人科の先生の講義で聴いた話。
逆子の特効穴の「至陰」。これは経験穴であり、
昔の人が臨床に基づいて最後に残った穴が「至陰」。
足の井穴だったら可能性があるが、いちばん確率が高いのが「至陰」。
効果があるから、かえって理屈をつけなくても良い。
お灸をしたその時に効果があるので、施術姿勢に注意。
必ず仰向位で、お腹をしめつけるような衣服は着ないで。
時間によって胎児が動きやすいのは、お灸をした後1時間。
寝たままにしておく。あとはその日の睡眠の前。
天津中医研究所のK先生に「至陰」について聴いた話。
足太陽膀胱は水の通り道である。
(膀胱経の水は「小腸」からくる。「小腸」の水は「胃」からくる)
「至陰」は水がいちばん溜っている場所。
地下水が溜ると、流れて湧き出る「湧泉」へ。
(「湧泉」の流れが「然谷」でボッと火がつく)
それで「至陰」へは、
羊水が溜っている水に小石を投げて波紋が広がるようにする。
鍼灸の専門書にも記載があった。
吉元昭治著 『臨床医家のための鍼灸療法 一般診療と婦人科領域』
を紐解いてみたところ、
呉沢森著 吉元昭治訳
「胎位異常矯正法 三陰交 至陰 刺鍼法による」
(『医道の日本』486号 S60)の抜粋で、
妊娠月数と治療前後の変化のパーセンテージのデータが載ってる。
ただ、分母の数が少ない。
これらは、経絡という「妄想」(あるいは形而上の概念)
があるとの前提において成立する話だけど、
鍼灸は科学ではないし、だから、いろんな面を持って
モノコトを語ることができるのはとても大切なことだと思う。
話はそれだすが
光文社新書『傷はぜったい消毒するな』に、
パラダイムシフトの話が書かれている。
たとえば天動説について。
地動説が常識になった今から見れば
おかしな考えかもしれないけど、
天動説が「科学」だった時代もあるし、
女子の好きな西洋占星術は
天動説という考えをベースにして生まれていると思う。
そういう世界の捉え方もあったのだ。
世界をどう捉えるかというと
こんな世界観で治療をしているアフリカの国もある。
ワールドカップで日本が対戦するカメルーンだ。
『サイケデリックスと文化』(春秋社)には、
ギンナージ(精霊)の病い(*おそらく精神疾患を指す)を治す
130名の北カメルーンの呪術医の
フィールドワークが書かれている。
これは90年代の調査なのでそんなに古い時代のことでもないし、
ギンナージのいる世界をきちんと信じている人々に対して
効果のある治療である、と僕には思える。
治療する側、される側の世界観の共有がそこにはあるからだ。
(ちなみにこれらの呪術医は治療にあたって、ペヨーテなどの
幻覚剤は用いていない。)
信じている人々がつくる空間というものは、
そこにはもう1つの別の世界が確実に在ると思う。
92年にバリ島に行った時のこと。
その頃のバリ島は90%の人がバリヒンズー教を信仰していて、
あの島の独特の空気はそういったことも関係してるのでは、
と思ったものだ。
巨人軍の帽子をかぶった褐色のガイドのおじさんが、
猫や牛や自動車に憑依して悪戯をする輩の話をマジメにしていたっけ。
中世にはこんな奇妙な治療法もあったそうで。
元東大全共闘議長、お茶の水の予備校の物理教師、
山本義隆著『磁力と重力の発見1』の序文には、
パラケサス主義者の「武器軟膏」(別名「磁気療法」)
という治療法(?)について書かれている。
それは「刀傷の治療のために傷にではなく
傷を負わせた刀のほうに塗ればよいという薬」であり、
「それによりたとえ20マイル離れていたとしても
傷ついた兵士は癒される」という。ホントかよ?
これって、武器と傷の遠隔共感(爆)とでもいうべき概念なのか。
でもこれについては17世紀前半まで議論されていたと聞くと、
少なからず驚いてしまう。
でも「科学」っていうのはそんなものかもしれない。
いま正しいと思っているコトは、
明日にはもう正しいコトではなくなっているかもしれない。
繰り返しちゃうけど、鍼灸は科学ではないし
科学だってそんなものだと思っちゃえば、
僕らがいかに「危う」くて不確かなモノの上にいるということがわかる。
じゃあ、自分は何を信じてどの面に立っているのか。
だからこそ、自分のしていることくらいは
自分の言葉で文章で、きちんと説明しなくてはと
強く思う今日この頃なのである。
2010年05月26日 鍼灸について