ナラティブ・メディスンと『落下の王国』
なんでも治療に結びつけて考えてしまうのは
悪い癖なのだろうか。
ターセムの映画『落下の王国』を観て
これってもしかして
ナラティブ・ベイスト・メディスンじゃん、と思った。
なるほどターセムなので、映像は美しい。
ベートーベンの7番が流れる最初のシーンから
もうあたりまえに美しい。
がしかし、それ以上にとても奥行きのある作品だった。
「ナラティブ・ベイスト・メディスン(Narrative Based Medicine)」
というのは、患者さんと治療者の間で取り交わされる対話を、
治療の重要な一部であるとみなし、
患者さんが語る「病いの体験の物語り」に焦点をあてた医療のことをさします。
あたりまえ、と言えばあたりまえのことですが、
これが成立するのは、なかなか難しいのだと思います。
なぜならこの物語(Narrative)には、話し手と聞き手が存在し、
そして「聞く」という作業は想像以上に難しいからです。
映画の『落下の王国』では、
落下して脚が動かなくなったスタントマンが
腕を怪我した少女を相手に、物語を話し始めます。
物は自然と語り出すものです。
トキトコロに、モノを置けば、コトは勝手に動き出します。
そして、それがどの方向へ流れて行くのか、
それを眺めてさえいればいいのだと思います。
ターセムは二人のつくっていくその物語を、美しく映像にしていきます。
二人の傷ついた登場人物は
確かに、自分たちの編んだ物語に救われたのだと思いました。
ターセムの映画のように
生きていれば、スタントマンみたいに落下したり
ぶつかったり、もしかしたらその連続なのかもしれないな、
と思うのです。
治療をしていると、患者さんが自分の物語を自然に
話し始める瞬間があります。
そして僕は、その物語に耳を傾けることしかできないのです。
しかし、物語を話すことで何かがホドけて、何かが流れ出す、
そういう瞬間があるときも稀にあります。
2008年09月27日 芝居について